それはレギュラー選抜の試合での出来事だった。
日吉は、跡部には敗れたが、宍戸には勝利した。
宍戸が弱いとは思わなかったが、正直に言って自分の方が実力は上だと自信をつけた
試合だった。
試合直後にコートの中に立ち、タオルで顔の汗を拭っていると、背後に何か奇妙な気配を感じる。
武道の達人だった日吉が感じたそれは、研ぎ澄まされた真剣で切りつけられるような感覚だった。
すぐに、《 本物の殺気 》 だとわかった。
全身が糸をピンと張ったように緊張し、日吉の背中を冷たくなった汗が流れていった。
反射的に攻撃に対する構えをし、振り返る。
しかし、背後には誰もいなかった。
いや、いたには、いたが、コート端のフェンスの向こう側。五十メートルも離れた場所に一人だけ。
同じく二年生の鳳長太郎が立っていた。
個人的に親しい相手では無いが、鳳とは入部した時からの顔見知りである。
その殺気と、鳳がすぐには繋がらない日吉だった。
いつもと同じように、静かにとても穏やかな表情で、日吉を見ている鳳だった。
だが、その視線はとても鋭く、二人で対峙していると、心の奥底まで鋭利な刃物で
刺し貫かれるような嫌な感じがした。
そのうちにすっと鳳が視線をはずし、フェンスを離れて歩き去った。
日吉はやっと緊張を解き、息を深く吸い、それからゆっくりと吐き出した。
見ると手にはべっとりと汗をかき、指先は小刻みに震えている。
例え、武道をやっていたとしても、本物の殺気のある人間には、そうお目にかかる事は無い。
確かに、人を憎んだり恨んだりする事はあるが、実際に殺そうとまでは思わないからだ。
おまけに、日吉は個人的に鳳に恨みを買った記憶は無い。
とにかく、その時に《 鳳には注意が必要 》と日吉の心の中で警鐘が激しく鳴ったのだった。

「思ったより、元気そうだな」
日吉は、ウォーミングアップで素振りをしている鳳にそう声をかけた。
鳳は目の下に小さな傷を作り、額にうっすらと青い痣らしいものがあったが、注意して
見ないとまず気がつかないだろう。
練習中、めったに日吉は他人に声をかけないので、鳳は少し驚いた様子だったが、すぐに
自分の怪我の事だと気がついたらしく、二コリと笑って答えてきた。
「ああ、スリ傷程度だから、たいした事は無いよ 」
そのまま鳳は素振りを続けていた。
日吉もその隣で、ラケットを構えると素振りを始めた。
鳳に怪我をさせた三人は、今日退部届けを榊監督に出したらしい。
理由は一身上の都合だの、受験のせいだの様々らしいが、部内でも突然の出来事だったので
かなり話題になっていた。
日吉は、鳳とあの三人の間で、どんなやり取りがあったのかは何も知らない。
そして関心もさほど無かった。
ここへはテニスをするために来ているのだ。
強くなり、レギュラーを取り、氷帝のトップに立ち、そして全国制覇が目標だった。
だから、それ以外の事に心を割くつもりは、日吉には無かった。

1ページ目へ戻る 3ページ目へ進む
小説マップへ戻る
|